テキスタイル
織物工房le poiluの近くには東京大学がありまして、そこの学生さんや先生方に比較的ご来店いただけるのですが、
哲学の先生にすごいことを聞いてしまいました。
織物というのはtextile(テキスタイル)ということなんだけど、テキスタイルというのは教科書のテキストという言葉の語源なんだと。布のことや織っていることなどもそうなんだけど、指し示したり、見本のような存在でもあって、哲学の世界では神が人間にこうあるべきだと人間のあり方などを示すものの意味もあるんだ。的な。
(会話での流れだったので、感動と興奮が押し寄せてきて、意味を取り違えていたら申し訳ありません。)
ただ、私の中でも同じような感覚を持って織物のことをとらえていたので、本当にそうなんだとうれしくなってこうしてブログにも書いてしまいました。
「ハーモニーを織りなす」という使われ方をするときの「織」は、特に織物に関係ない物においても織りなすを使います。
織物では、たて糸のことを「経糸」 よこ糸のことは「緯糸」 と書くのですが、ものごとのいきさつや筋道のことを「経緯(けいい)」 と言いますよね。織物ができていくそのものが経緯であり、まさにたて糸のセットからよこ糸を織り込む過程であり、
織物が日常的でなくなった今日でも、こうして日常語の中にはしっかりと織物の意味を含んだ言葉が何の違和感もなく存在しておりまして、
織物を愛する者としては織物のすごさの波に後頭部を直撃されたような感動を得ました。
大学生の時に感じ得た織物のすごさを、たくさんの人に織物がどれほどすごい事かをもっと伝えなきゃと思っている私ですが、こうして更に深めていくと相当に深い分野だということを改めて感動せずにはいられません。
あまり熱くなりすぎると、みなさんに冷ややかに思われてしまいそうですので、今日はこの辺でやめておきます。またチョイチョイ小出しにしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
↑ 今回の話とボクのこの微妙なポーズは関係ないよね!! そうやってネタに関係ある写真がないとボクをチョイチョイ小出しに使いやがって!! プンッ
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