モノの価値
昨日、定休日でしたので、おうちでのんびりテレビを見ていました。
そんな自分を襲った衝撃的なセリフ。
「タモリさん、笑っていいとも終わるのホンマ?」 「そうなんです。次の3月で終わるんです」 と。
タモリさんが言うことでは、「みなさんには感謝の気持ちしかない。」 「30年以上の番組に育ててもらってありがとう。」 「あと半年がんばる。」と。
私は本当に泣きそうになりました。
先日の宮崎駿さんの引退宣言の時もそうでしたが、
「次の映画のアイデアはあるんだけど、だいたい7~8年制作にかかるから、そうすると80歳。まだ動けるうちにずっとやりたいと思っていたことをやるほうにした。」
おそらくタモリさんも同じ想いなのかと想像できました。
巨匠と言われる彼らには何不自由のない生活をされていると思われる方もいると思いますが、私には彼らの大きな決断を聞くに当たり、きっと想像とは真逆な想いをされているのではと思わずにはいられません。
自分の時間を惜しみなく使って、私たちに多くのすばらしいことを与えてくださっていると。
先日、カフェに入った時に隣の席から 「風立ちぬ、みんなが言うほど泣けないよ」 と聞こえてきました。
私としてはワンシーンワンシーンに込められている想いをもっと感じて観てみなよ、と言いたかったのですが。。。
モノの価値がどこにあるのか。人がどれだけの努力と知識と忍耐力と根気と時間と・・・
とにかく、その人の人生の中で培ったすごいものを使って作って、そして私たちに与えてくれているモノに気が付けるか気が付けないかは、自分の意識しだいだと思います。
価値の判断基準が自分の中になく、誰かの基準が情報として流れ、maid in ○○ はいいモノなどと、作られた場所だけでそれの価値を決めるような方が増えてしまったのではと思っております。
ホンモノを見極められる人間になれるよう、私自身も日々精進です。
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